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死に至る病/S・キルケゴール

2009.03.27 - 哲学
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セーレン・キルケゴールの『死に至る病』を読みました。

高校生のときから実存主義思想に興味があったので、まずキルケゴールから。


絶望と罪の諸形態についての分類が興味深かった。

はじめにあるように、本書は「教化」と「覚醒」のために書かれたもので、中途半端なクリスチャンである自分にとって、読んでいて、とても重く、滅入るものであった。


「自己とは、ひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である。」

つまり、人間は「無限性と有限性」、「時間的なものと永遠的なもの」、「自由と必然」の綜合に関係する関係ということである。

そして、(絶望を自覚しているか否かを度外視して考える際、)この各々の関係項が一方のみに偏った場合に人は絶望するのである。

ここで、自分が陥っている絶望のひとつであろうと思ったのは、「無限性」に偏っていて、「有限性」を蔑ろにしていることに起因する絶望である。


キルケゴールは精神的な実存を本来的なものとする。
人間が自己の精神について反省し、その反省の度合いが強くなればなるほど、絶望の度も強くなり、罪の度も強くなる。しからば、神から最も離れた位置に行くことになるが、一方で神と最も近い位置にいるのである。

自己反省をせずに、自分が絶望していることに気づかないことのは、それに気づいているものよりも絶望的であるが、自己が絶望していることに気づき、自己自身であろうと欲しない、または欲する場合は、自ら絶望していることに気づかないものよりも、はるかに絶望の度は高いのである。


昔は、俺は、絶望して、自分自身であろうと欲していなかったのであるが、最近は、絶望して、自分自身であろうと欲する形態の絶望に陥っているように感じる。

キルケゴールのいう宗教的実存には後者のほうが近いのであろうが、単純に日々の”張り合い”というその点だけにおいていえば、前者のほうが、ある意味「人間的」なのであろうと感じる。当然、それは、キリスト者としての自己自身に無自覚になり、日常の雑多なことに埋没しているほうが、「直接的」で、絶望の度も低いので、そちらのほうが楽だといっているようなもので、当然、捨てられるべき感情なのであるが、自分の中には、そういうものへ堕落してしまうのではないかという恐怖があるのも事実である。


神の恩寵に対する絶望は、俺にとって、もっとも恐ろしい絶望であり、罪であるが、それを克服するためには信仰のみであることはうなずける。(俺はその種の絶望はしていないが)

神やキリスト、あるいは教説を概念的に把捉することは、不可能であるとするところ、問題は、ひとりひとりが単独者であり、倫理の問題は、ヘーゲル哲学の否定的な、一般化、普遍化の哲学・思弁では把捉されず、各々の具体性が問題とされると提起したところが、ドイツ観念論を乗り越える意味で、キルケゴールのした仕事で意義深いものなのであろう。


キルケゴールは「つまずき」をキリスト教的なものへの信仰の契機として、最後には3つの段階に整理して論じ、とても重要視している。しかし漠然とか「つまずき」について理解できなかったので、今後は、キルケゴールの「つまずき」の議論を追ってみたいと思う。


なお本書の内容については、以下が詳しい。

http://www.geocities.jp/enten_eller1120/text/kierkegaard/krankezumtod.html
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1988/02/01
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三重県鈴鹿市生まれ。

小中高生の時期を大阪府で過ごす。

現在は京都府在住。

ラテンの血を引く。専ら、沖縄出身とか東南アジア出身者とかと間違われる。
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