シェイクスピアの初期の時代劇・復讐劇『リチャード3世』読みました。
きっかけは、いくつかの本でリチャード3世がアナロジカルに使われているのを見て、読んでおこうというまじめなものです笑
世界史の資料集をひっぱりだしてきて、プランタジネット朝、ランカスター朝、ヨーク朝の関係や血統の復習もしておきました笑
ちなみにリチャード3世はヨーク家。
なんというか展開がすごくはやく、時間がたつのを忘れて読んでしまった。
敗れたランカスター家とチューダー家のいがみ合いと、ヨーク家内における内紛が、「呪い」という基本旋律で描かれている。
夫と息子をリチャードに殺害されたランカスター家のマーガレットとヨーク家の掛け合い、夫エドワード4世が病死し、3人の息子(弱冠で殺害されたエドワード5世含む)と弟をリチャードに殺害されたエリザベスと、そのエリザベスの娘をめとろうとするリチャード3世の掛け合いが、言葉遊び、含蓄にとんでおり、テンポのよいもので唸らせるものがあった。このシーンはお気に入りであるし、当作品の見せ場でもあると思う。
一方で権謀術数のマキャべリストであるリチャード3世、びっこでせむしというが、その策略たるや、おそろしく冷酷。
自らが王位を手中に収めようと、腹心に身内を殺させるよう指示するが、その腹心までも裏切り、殺害する。
めでたく、王位につけたものの、自分の意見にすこしでも躊躇するものを自分の地位を危ぶむものとして、今まで腹心であろうと、ばっさり殺してしまうのであるが、
そこには、自分が容易に人を裏切っていたように、自分も計略によって裏切られるのではないかと、人を信用できず、猜疑心にさいなまれた王を哀れなものだという印象をもったが、その私の感情そのものも、私が良心をもつもであるがゆえであり、リチャードからいわせれば、良心は小賢しい足かせ、それは弱者の所有物なのである。
彼は亡霊の呪いにより、自らの罪を後悔し、懺悔を始めるかと思いきや、良心を臆病者だと断じ、自らが高みを目指すための権謀術数を妨げる、煩わしいものとして退けるのである。
最終的にリチャード3世はのちのヘンリー7世であるリッチモンドに殺されることで「復讐」が達成し、エドワード4世の娘エリザベス(リチャードが求婚?した)と結婚し、ランカスター家とヨーク家は和合し、チューダー朝(ヘンリー7世の父はリッチモンド伯エドモンド・チューダー)の治世の開始で本劇は終わるのである。
解説にもあったように、本作品ではさまざまな人物が殺されるが、劇中で実際に殺害シーンが演じられるのは、クラレンス公(リチャード3世の次兄)とリチャード3世のみである。
クラレンス公は劇のはじめに、リチャード3世は劇の終わりに殺害されるのが、劇に対象性を与えるものとなっている。
ああ、生きた人間のかりそめの愛顧を、神の恩寵にもまして、懸命に追い求めるあさましさ!
他人の笑顔にひたすら希望をつなぐ男は、マストの上に酔っ払った舟乗りも同然、舟が揺れるたびに、いつ放りだされて、深い水底に引き込まれるかしれたものではない。
これはリチャードに裏切られた腹心のヘイスティングズの嘆きである。
王位継承の内紛に、身内忠臣関係なく、明日いつ誰が自分の敵になるやもしれなぬという、悲劇を如実にあらわしているように思う。
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